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ニューヨークのチャイナタウンは、香港、中国本土、台湾と時差なし。ここでは最新の映画タイトルのDVDが手に入ります。映画情報をいち早くお届けします。
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汚い、マナーを知らない、言葉が通じない、顔の区別が出来ない。人間へ同士の差別の理由なんて、こんなものだろう。アジア人がもたれがちな感想でもある。ところがこの映画で差別されるのは、UFOが壊れて帰る術をなくしてしまい、難民として移住してきたエイリアンたちだ。南アフリカ出身ニール・ブロンカンプ監督が、類稀なるB級最高傑作を撮り上げた。現代のスピルバーグの称号を思わず与えたくなる、痛快なSFアクション。

28年前、正体不明の巨大宇宙船が突如、南アフリカ共和国に飛来した。故障した宇宙船の船内には、不衛生で弱り果てエイリアンの群れがいた。難民となった彼らの処遇が決まるまで、エイリアンはヨハネスブルグにある第9地区の仮設住宅に住まわされることになる。だが、言葉も通じず、野蛮で不潔なエイリアンたちは、下級市民として蔑まれる。市民とエイリアンの対立が激化したことを受けて、エイリアンを管理する民間企業MNUは、第9地区から郊外にある第10地区へ彼らの強制移住を決定。立ち退き作業を始めるにあたり、MNUはヴィカス・ヴァン・ダー・マーウィ(シャルト・コプリー)を現場責任者に指名する。事情を把握していないエイリアンたちから、承認のサインを無理矢理取りつけている際に、ヴィカスは謎のウィルスに感染。報告を受けたMNU上層部はヴィカス捕捉の指示を出す。

大多数の白人で構成されたMNUの隊員たちは、エビと蔑称されるエイリアンたちを銃で小突き回し、殴ったり蹴ったりと虐待する。地区はナイジェリア人のギャングが仕切り、不法で武器を振り回し、エビたちに不当な値段で好物のキャットフードを売りさばく。初めはあまりの荒唐無稽さに笑ってしまうが、南アフリカだけではなく、世界中のゲットーでは多かれ少なかれ見る光景に、次第に現実を投影させていってしまう。初めはエビたちがどれも同じに見えるが、クリストファー・ジョンソンと名づけられた知能の高いエビとヴィカスが出会い、協力し合って行くあたりには、エビたちが可愛く見えてくる。

MNUとギャングの両方の敵に攻撃ながら、クリストファーの悲願を達成させるため、ヴィカスは戦うことを決意する。ETを彷彿とさせるストーリーだが、ニュース映像、ドキュメンタリー映像などを駆使し、物語にどんどん引き込まれて行ってしまう。コメディ、アクション、ホラー、SF といろいろな要素を含み、発想の自由さに目を奪われ、空中撮影を多用した創意工夫にのめりこみ、次第に心を奪われていく。ラストは手に汗にぎる。バカバカしいB級作品の皮をかぶりながら、幾重にも重なり織り込まれた、痛烈な人種差別や戦争で利益を得る企業への抵抗が垣間見える。何度でも観たくなる深い味わいの秀逸な作品。
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隣で歓談していた戦友が、突然撃たれる。倒れた後、互いの手を握り締め、涙をこぼして家族への最後の言葉を伝える……などということは実際の戦争では起こらない。次に撃たれるのは確実に自分。見えない相手の恐怖と戦いながら、見えない相手と一戦交える──。

戦争ジャーナリストでもあるマーク・ボールが、2004年にイラク駐留の爆発物処理班を取材した体験を脚本化した「ハート・ロッカー」。女性監督キャスリン・ビグローの冷めた視線が観客を映像に引き込み、戦争そのものに巻き込まれたような錯覚を引き起こす。第67回米ゴールデン・グローブ賞で最優秀監督賞など3部門にノミネートされたほか、ニューヨーク映画批評家協会賞、ロサンゼルス映画批評家協会賞で作品賞、監督賞を受賞。米アカデミー賞では9部門にノミネート、作品賞も有力視されている。

イラク・バグダッド郊外。米軍の爆発物処理班は日々、爆弾の解体、爆破作業を進めていた。ある日、ラジコンでの遠隔処理に失敗し、手動で作業を進めていると、避難しそびれた市民がかけた携帯電話に爆弾が反応し、爆発してしまう。その後、殉職した隊員に代わり、“約800個の爆弾処理に成功した”経験を持つ、命知らずのウィリアム・ジェームズ(ジェレミー・レナー)が赴任してくる。処理班と姿なき爆破犯の壮絶な死闘が再び始まる。

爆弾処理にあたり、あまりにリラックスした態度のジェームズ。処理班のサンボーン(アンソニー・マッキー)とエルドリッジ(ブライアン・ジェラティ)は、反感を覚える。典型的な黒人労働者階級出身のサンボーンは、白人のジェームズに心の底で嫌悪感を抱いている。目の前で爆死した仲間がトラウマのエルドリッジは、精神科医の世話になっている。そんなばらばらな3人だが、チームメイトとして修羅場をくぐるうち、友情以上の固い絆を築いていく。ジェームズに対するサンボーンの言葉が印象的だ。「子供をつくることにする。彼女がずっとほしがっているんだ。僕のレガシー(遺物)を残したくなった」。人間の本能に目覚めたかのように、少し悲しげなサンボーン。ジェームズは別れた妻との間に息子がいるが、ほしくて作った子供ではなく、愛情を持てない。だが、基地でDVDを売る少年には優しさを見せる。

実際の戦争は、数秒の気の緩みも許されない。3人は40キロもあるスーツを着て、毎日数個の爆弾を処理する。「ドキュメンタリーに近い雰囲気を出すため、俳優に自由に動いてもらい、カメラの位置を明かすことなく、隠し撮りのような手法を使った」というビグロー監督。過酷なヨルダンの砂漠での撮影で、俳優たちは本当に命の危険を感じたという。

「戦争は麻薬である」冒頭で米ニューヨーク・タイムズの記者、クリス・ヘッジスの言葉が流れる。「平和のため」と戦争を起こす政治家、利権をむさぼる企業に向けた言葉ではない。家族と囲む夕食を夢見ながらも、戦場ではアドレナリンを放出させて任務を遂行する。脳内麻薬に犯された兵士たちは、帰国後に本気で戦地を懐かしむのだ。“戦争中毒者”の問題は、もはや無視できる段階にない。トラウマの一言で片付けられない深い問題を、「ハート・ロッカー」は提起している。



何らかの事情に巻き込まれてしまい、思ってもいない方向に足を踏み外して行く。日常でも決してありえない話じゃない。それでもさすがにこんな男はいないし、こんな男に絡め取られていくやつもいない、はずだけど。
ジョニー・トー監督の「マッド探偵」は、キチガイ元警官バンを軸に展開していく。サイコスリラーとも、アクションとも、コメディともいえない、しかしそのどのカテゴリーとしても十分に納得できるトー・ワールド炸裂の傑作だ。

 窃盗犯を追う警官二人が、森の中へ迷い込む。うち一人は、犯人とともに行方不明に。しばらくして連続殺人事件が発生。凶器に使われたのは、消えた警官の銃だった。捜査にあたった刑事・ホー(アンディ・オン)は、人間の内面が見透かすことができる男(ラウ・チンワン)に協力を依頼する。バンはかつて有能な刑事だったが、透視による意味不明な行動が原因で退職させられていた。ホーはともに、犯人の行方を追う。二人は、行方不明になった警官の片割れ・コウ(ラム・ガートン)が怪しいとにらんでいる。バンの目にはコウの中の“7つの人格”が透けて見えていた。若く美しい女、太った大食いの男……次々と現れては消える。それだけではない。自分の離婚した妻が、今も一緒にいると信じるバン。

彼はただのキチガイか、それとも本当に心の中の声が聞こえているのか。最後の最後までわからない、いやきっとどちらも本当なんだろう。思考の迷宮に迷って行くうち、答えがどんどん遠ざかる。殺された人の心を覗く為、林に穴を掘り、自ら土をかぶせるバン。だがそこで見えた答えは本当に事件の真実か。

この作品は、バンの見える世界と現実世界の映像が交互する。そのの緻密な交差のタイミングは、ジョニー・トーと脚本のワイ・カーファイの見事な職人芸が生きている。
キチガイの元刑事が、なんの違和感も無くハマっているラウ・チンワンはやはり類稀なる才能の持ち主だ。恋に不器用な、朴訥としたシングルファーザー、上司の妻と不倫しているセクシーな警官、何をやっても人心をわし掴む。

映画についているカテゴリーは、宣伝以外にはなんの意味も無い事が、この作品を観ると良くわかる。スリラーでもホラーでも、映画は面白ければいい。面白くて可笑しくて、怖ければもっといい。ジョニー・トー監督の映画に対する情熱を、ふんだんに感じることができる1時間30分だ。


登場人物の全員がなんらかの破綻を抱えている。誰も気が付かない程の小さなな歪みが、やがて些細なきっかけによって崩壊する。是枝裕和監督が書き続けるテーマの集大成といえるこの作品、ホウ・シャオシェン、ウォン・カーウァイ、パトリック・ヤン等錚錚たる面々の撮影を勤め上げた、リー・ピンビンが俳優達の豊かな表情を切り取ってみせた。この映画の企画を9年間暖めていたという是枝監督、シュールなシュチュエーションを、日常に摩り替えてしまう手法は天才的だ。「誰も知らない」に続く、カンヌ映画祭参加作品。ニューヨーク、フィルム・コメント・セレクト、招待作品として、ニューヨークで上映された。

古びたアパートに住む中年男の秀雄が、5000円で購入した空気人形ノゾミが、ある朝心を持つようになってしまった。やがてノゾミは街へ繰り出し、純一が働くレンタルビデオ屋でアルバイトをするようになる。言葉を少しずつ覚えると同時に、純一に惹かれ始めるノゾミ。ある事件がきっかけで、彼女が空気人形であるという事が、純一に知れるところとなる。

古びたモルタル住宅が建ち並ぶ、東京の下町の風景。すぐ近くまで大規模なタワーマンションが迫る。懐かしくも質素なこの街に住む人々の物語が交差して行く。それぞれ心に孤独を抱え、処理しきれず、少しずつ壊れかけた心を持っている。
まず秀雄を演じる板尾創路がとてもいい。立ち姿だけで哀愁が漂う稀有な存在感を放っている。秀雄は空気人形にノゾミという名前をつけて、本物の恋人以上に慈しむ。服を着せ替え、風呂に入れ、仕事帰りには一緒にコーヒーを飲む。ビニール製の安物のノゾミを擬人化する映像は、酷く滑稽であるはずなのに、なぜか良くある日々の一コマに見えてくる。命を得たノゾミは、野花や空き瓶などの、普通の人々には見向きもされないもの達の美しさに心を躍らせる。初めて見る木、初めて見る街、初めて見る川。ある日流れていた海の映像を観て、ノゾミが聞く。「あれは何」「海だよ」「海ってなあに」「海見たことがないの」驚いた純一はノゾミをお台場のビーチへ連れて行く。

生きる喜びに満ち溢れるノゾミ。世界はこんなにも素晴らしい。やがて純一への愛を知り、心の痛みを覚えてしまったノゾミ。

純一は一番まともなようで、例外ではない。空気人形だったノゾミが次々と質問攻めにするが、何も聞かずに優しく教えてやる。普通なら幼児レベルの簡単な単語一つ知らない女の子に、不信感を抱かないのも不自然だ。物語が進行していくにつれ、純一も壊れた一部分を持っている事がわかる。

一見洗練され、何もかも美しい東京の風景、草木に触れる、空を見上げる、夜露を掬う。現代人が忘れ去ってしまった感覚を、嬉々として体感するノゾミ。無垢すぎる感性を説得力を持って演じるペドゥナは、文句なしに素晴らしい。序盤は人形らしく喜怒哀楽の無い顔だったが、終盤に近づくにつれ、表情がだんだん多彩になっていく。きれい、嬉しい、楽しい、だが心はそんなに単純じゃない。悲しい、寂しい、という感情にも徐々に目覚めていくノゾミが切ない。

性の代用品、でも誰かの唯一の存在になりたい。女の子なら誰でも持っている感情を代弁するノゾミ。人間の身勝手な性を無理やり白昼にさらすが、観客を決して不快にさせない高等な技術を、是枝監督は確かに持っている。



人種差別は、突き詰めれば自己防衛本能なのか。移民社会の米国、カナダでは、人種間の摩擦は毎日目のあたりする現実であり、軋轢は朝飲むコーヒーの苦味のようなもの。特に原住民居留区に隣接して住んでいるなら、なおさらだ。社会の最下層に沈殿して、身動きが取れない主人公は、無教養で、パキスタンがどこだかわからず、イスラム教徒であるだけで、テロリストだと決め付ける。夫は先住民だが、白人でない彼らに理解を示す事が出来ない。

クリスマスマ間近 カナダ国境の先住民居留区に隣接する町のトレイラーハウス住むレイ(メリッサ・レオ)は、プレハブ住宅建築の為に貯金していた金を、賭け事好きの夫に持ち逃げされてしまい、二人の息子との日々の食事にも事欠くほど困窮していた。そんな時先住民のライラ(ミスティ・アップハム)と出会う。ライラは密入国者の闇の運び屋で、凍った河を越えて国境を渡るたびに1200ドルを受け取っていた。安い時給のパートタイムでは埒が明かず、プラズマテレビの月賦とプレハブ代金を工面する為、レイは闇の運び屋に手を出す。初めは先住民がパートナーで、アジア人の不法移民を車のトランクに乗せる事に不快感を抱き、弾圧されてきた歴史を持つモホーク族のライラは、白人のレイに嫌悪感を抱く。打ち解けないまま仕事を重ねていたが、夫に先立たれたライラは、実は義母に奪われた息子を引き取る為に危険な家業に手を出している事を知る。

初の長編作品でサンダンス映画祭、ドラマ部門・審査員大賞(グランプリ)を受賞したコートニー・ハント監督の写実的な視線は、米国によくある貧困の光景を見事に切り取ってみせる。最北の田舎町にに住む労働者階級の一家は、低所得、低学歴、の象徴であるトレイラーハウスに住み、夫は失踪、そのせいで長男の学食代も払えない。たんたんとした日常の描写には「泣き」がない。異常な格差社会と、歴然と存在しながら捨て置かれ、社会に黙認されているている差別へ怒りがあるのみだ。

「リアルな質感を出す為に、スーパーの安売りの化粧品で自ら化粧を施した」と言う、レイ役のメリッサ・レオは強烈な存在感で、画面を圧倒する。彼女は顔の表情のみで、貧困から抜け出せない閉塞感を表現している。「ハリウッドには有能な俳優が大勢いるが、主役をはれる役者は限られている。彼女はその一人だと思う」とハント監督が惚れ込んでの起用だ。メリッサ・レオはこの作品で、2008年度米アカデミー賞 最優秀主演女優賞にノミネートされた。

白く枯れた大地、分厚く凍った河に車を失踪させるレイとライラ。凍っている河を渡るのは危険だが、法を犯すのはもっと危ない。レイは初めは闇仕事に手を染める事を堅く拒否するが、目の前の現金の魅力につい、負けてしまう。無事一度目の密入国を成功させたが、自治区である先住民居留区の出口には、パトロールカーに乗った警官が待機していた。「大丈夫よ、あんたは白人なんだから」一度捕まったというライラ。子供に食べさせるものもなく、支払いに切迫したレイはされに数回密入国に手を染める。3度目はイスラム教徒の装束を着た夫婦が“お客”だ。「何なのあいつら」「パキよ」「誰それ」「パキスタン人の事よ」「その国ってどこにあるの」「関係ないわ」危険物が入っていると決め付け、夫婦の鞄を河に捨ててしまうレイ。鞄には、かけがえないあるモノが入っていた。

レイはいろいろなボーダーを越える。国境(ボーダー)を越える。一般人と犯罪者の間の垣根(ボーダー)を越える。人種間の垣根(ボーダー)を越える。確執のあった二人が徐徐に互いを思いやる気持ちが芽生え、誤解が理解に変わっていく時、絆が生まれる。レイが人種間のボーダーを越える発端となったのは、母性と人間愛だ。肌の色が違っても母性は同じ、子供を愛する気持ちも。人種間の垣根の高さは、越えてみると案外たいした事がない。
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hkny Emi Ueyama
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ニューヨークはチャイナタウンで、最新DVDを仕入れる日々。
ウォン・カーウァイマニア。その他注目しているのは、イー・トンシン、ジョニー・トーらの香港にこだわり続ける監督達。
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